Montag, 3. Februar 2014

グルントヴィ教会 Grundtvigs Kirke

相変わらず絞り出しても出て来ないヴィーンネタは前回で終了,今日からコペンハーゲン報告を行います。

ヘルシンキのミュールマキ教会と並んで,その町まで行っておきながら行くチャンスに恵まれていなかったのがこのグルントヴィ教会。
グルントヴィークス教会と日本では表記されていますが,デンマーク語だと最後に書かれたアルファベットが発音されない事があり(Grundtvigと綴る),この教会がお国の哲学者グルントヴィへのオマージュで(ホントか?)建てられた事を思えば,多分グルントヴィ教会とした方が実態に近いのではないかと考えたので,このように書く事にしました。
…でも,そもそもこの哲学者だって本国語だと多分「グルンヴィ」ですよ。確たる自信がないので通称を使いはしますけど…。

ここには1月3日に行きました。帰国日に怒りの中ものしたとおり,3日の朝から宿のWLANが機能不全に陥っており,私の持っている地図の範囲外だったのに調べようもなく,仕方ないのでフロントスタッフに問い合わせるもバス路線の番号しか返って来ず,バス停の名前は「知らない,でも見えてくるからさ」と無責任。世に知られている姿で視界に入ってくるとは限らないし,進行方向のどっち側なのかも教えてくれず,イライラしつつも「コイツからはこれ以上引き出せない」と諦め,バスに乗り込みました。

バスが走るのは大通りですが,バス停には大抵の場合それと交差する道や広場の名前がついています。デンマーク語の発音は近い言葉を話すスウェーデン人でさえも難解で,アナウンスされるバス停名を聴き取るのはホントにシンドいんです。
その上バスは混んでいて進行逆方向の席しか陣取れなかった上に,コペンハーゲンのバスの窓は高い位置についているので,後部のちょっと高くなった座席群以外では外の様子はなかなか見えません(私は運転席付近にいました)。 悪条件の揃い踏みに宿のスタッフへの恨みが募る中,私はどうにか目星をつけるしかないと地図を睨み付けながらアナウンスを聴いていました。

暫く走ると,私の向かい,つまり進行方向の席が空きました。私の隣,窓側に座っていたお母さんが私に何事か話しかけてきましたが,当然何を言っているか解りません。お母さんに英語で話してもらうと,「その向かいの席の方がいいんじゃないの?」と云う提案でした。しかし私にはそれよりも重要な事があったので,「アリガトウ,このままで大丈夫。それでさ…」と教会の事を問いました。お母さんは「そのバス停で降りるから教えてあげるよ」と言ってくれ,私は初めてそこで地図を睨むのをやめました。

あの低級スタッフが言っていたとおり,バス停が近づくと教会は見えてきましたが,背面が一部見えただけだったので,あれを見ただけではグルントヴィ教会と断定する事は出来ません(アイツホント,ボコボコにしてやりたい)。降りたら後は簡単に着けそうでした。それでもお母さんは丁寧に教えてくれ,自分の進行方向と共通する地点まで一緒に歩き,そこで分かれましたが,自分が指示したとおりに私が道を曲がるのを見届けるまで立ち止まっていました。私はあの低級スタッフのダメ案内の後だったのでいたく感動し,お母さんに向かって感謝の気持ちを込めて本意気で手を振りました。もう二の腕から。お母さんはニッコリしながら去っていきました。お母さんアリガトウ!!

と,こんなに前説で引っ張る気はなかったんですが,教会の外観を。
…そう,外観だけなんです。外扉を開けると入ってすぐのテーブルには花束,中扉の先に何人か立っていて,入っちゃいけないのかなと遠慮がちにしていました。
花束を取りに来たお姉さんは私に「これからお葬式をやるの」と言ったので,私は外に出ました。ですから内部を少しばかり観る事は出来ましたが,撮影可否など調べる間もなく外に出てしまったんですよね…。
私が外に出るとすぐ,霊柩車が到着しました。




教会は集合住宅に3面囲まれています。何か意味があるのかも知れませんが私にはわかりません。住人達に背後を固めさせ(?),



ぬおっと建っています。この姿,異様です。ちょっと観た事がないタイプの教会。内部は代わり映えしないように見えましたが,一瞬だったからなぁ…。




ぐるっと回るとこんな感じです。パイプオルガンのような部分は後ろから見るとマカオのハリボテ教会っぽくもありますが,実際にはちゃんと身が入って(?)います。




離れた位置からだと,わきを固める建物が教会を護衛しているように見えます。
私が立っていた背後,教会と大通りを挟んだ反対側には大きな墓地があります。少しばかりのぞいてきましたが,興味関心が募りました。今回はじっくり観ていられなかったので,次の楽しみにします。

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